Fukuyama Laboratory - Low Temperature Physics

福島第一原発での燃料棒の“冷却”について

東京大学大学院理学系研究科教授
東京大学低温センター長
福山 寛

3月11日に東北地方と関東地方北東部を襲った巨大地震と大津波によって、あまりにも多くの方々の尊い命が奪われました。ご家族、関係者の方々へ心底よりお悔やみ申し上げるとともに、行方不明の方々の一刻も早い救助をお祈りします。また、不自由な避難生活を送られている方々の心身のご健康が保たれるよう念じております。

この地震と津波の被害によって、東京電力の福島第一原子力発電所では原子炉の冷却装置が故障しました。このまま燃料棒がうまく冷却できないと、深刻な放射能汚染が起こる可能性が心配されています。自衛隊、消防庁、警視庁、東電など関連会社によって、使用済み燃料貯蔵プールに大量の海水を放水して燃料棒を“冷却”する必死の作業が続いており、日本だけでなく世界中の人々がその行方を固唾を飲んで見守っています。放射線被爆の危険を冒して現場で作業されている方々の献身的な努力に最大限の敬意を表するとともに、その成功を祈らずにはいられません。

低温物理学の研究者は何かできないの?

この放水作業をテレビでご覧になっている皆さんの中には、『とにかく一刻も早く燃料棒を“冷却”しなければいけないのだから、絶対零度に肉薄するような超低温度を実現している低温物理学の研究者が何かよい方法・アイディアをもっているのではないか? 液体へリウムや液体窒素といった低温寒剤を使えば水よりもっと効率よく冷却できるのではないか?』という疑問(期待)をもたれるかも知れません。しかし、残念ながらその答えはNoなのです。なぜNoなのか、そして、なぜいま行われている「水」による冷却が最善の方法なのかを以下に説明します。

なぜ冷却剤には液体がよいの?

まず、燃料棒を効率よく冷却するには「液体」を冷却剤とするのが最善です。「熱」の実態は物質を構成している原子や分子の乱雑な運動(熱運動)のエネルギーです。液体は気体と比べて構成粒子の密度が数百倍も高く、固体と違って粒子が自由に動き回れるので、燃料棒の表面から効率よく熱を奪い取ることができます。しかも、熱対流(質量流)の効果で熱伝導性がとても高いので、奪った熱を素早く遠くまで送り出して外部に逃がすことができます。

なぜ低温液体は使えないの?

使用済み燃料棒はもともと1,400トンもの冷却水を張った貯蔵プールの中で室温付近(正確には40°C以下)に保つよう設計されています。そして、水は海水から大量に現地調達できるので、水を用いるのが当然まず第一に考えられ、それがいま実際に行われています。それでは、室温よりはるかに低い沸点をもつ液体窒素(-196°C)や液体へリウム(-269°C)などの低温寒剤(低温液体)はどうしてこの目的には適していないのでしょうか?

図1をご覧下さい。ここには液体ヘリウム、液体窒素、水について、それぞれ液体1リットルが高温の物質と触れて蒸発し、より高い温度の蒸気になる過程でその物体から奪うことのできる熱量(縦軸)を比較したものです(この熱量のことをエンタルピーと呼びます:注1)。横軸の温度は日常生活で使うセ氏温度目盛(上の目盛り:単位は°C)と絶対温度目盛(下の目盛り:単位はケルビン(K))(注2)の両方で示してあります。これを見ると、水の吸熱量が低温液体のそれに比べて5~9倍大きいことが分かります。その最大の理由は、水の方が沸点(100°C)が高いので、蒸発のときに奪う「潜熱」(図中、沸点での縦軸方向のジャンプ量)がずっと大きいからです。打ち水で地面の温度が下がるのも、この潜熱が奪われるからです。潜熱と絶対温度で表したときの沸点はおおよそ比例関係にあるのです。逆に低温液体は、沸点が非常に低いのでそうした極低温環境を実現するにはもちろん必要不可欠ですが、潜熱が小さいために対象物から奪うことのできる熱量は実はとても小さいのです。これが、液体へリウムや液体窒素といった低温液体を原子炉の使用済み燃料棒の冷却に使っても意味のない原理的な理由です。非常に低い温度を実現することと、沢山の熱を奪うことは相反する性質で、両立しないのです(注3)。いまの目的では、加熱した燃料棒は40°C以下まで冷却できればよく、吸熱能力は高ければ高いほど良いのですから、水の使用が最善策です。

関係者による放水作業によって燃料棒の過昇温が少しでも食い止められ、その間に外部電源が接続されて本来の冷却装置がうまく作動することで、放射能汚染の危機が回避されることを祈ります。

図1: 1リットルの低温液体(液体ヘリウム、液体窒素)と水が、高温の物体に触れて蒸発し、より高い温度の蒸気になる過程でその物体から奪うことのできる熱量の比較(圧力は1気圧で一定)。ジュールは熱量の単位で、1ジュールは0.24カロリー。挿入図は低温部の拡大図。簡単のため、沸点より低温の液体状態での吸熱量は示していない。

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